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桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。
千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。

展覧会の趣旨

三井家から寄贈された美術品の中で茶道具は、江戸時代以来長年にわたり収集され蓄積したもので、数と質の高さにおいては他に例を見ないものです。茶の湯の歴史を研究する上でも貴重な作品群となっています。
今回の展覧会では、その中より桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした千利休・古田織部・小堀遠州の茶道具を選び、それぞれの美意識を探ります。
近年の茶道史研究では、茶の湯の歴史を問い直す研究が多く発表され、著名茶人の「作られた伝説」を見直し、「真実の姿」が追究されています。今回の展示はその動きを視野に入れながらも、3人の美意識を、利休の「わび・さびの美」、織部の「破格の美」、遠州の「綺麗さび」という従来の捉え方で展示を構成いたします。
茶道具という「物」そのものをご覧いただき、そこから利休・織部・遠州の美意識を感じ取り、茶の湯の美学という観点から3人の「真実の姿」に想いを馳せていただくことを趣旨としています。

展示構成

展示構成は以下のように展示室ごとのテーマで展示いたします。

展示室1
利休・織部・遠州の美意識
展示室2
国宝の名碗
展示室3
如庵 織田有楽の茶室
展示室4
千利休の美意識=わび・さびの美
  • ○わび茶の師
  • ○利休の消息とゆかりの茶道具
  • ○千利休画像
  • ○利休作・所持・在判の茶道具
  • ○利休が好んだ茶道具
展示室5
  • ○利休写
古田織部の美意識=破格の美
  • ○織部の消息と茶杓
  • ○歪(ひずみ・ゆがみ)・沓形(くつがた)
  • ○破格の形の波及
  • ○志野・織部
展示室6
数棗と数香合
  • ○利休形茶器十二
  • ○利休好・織部好の蒔絵の香合
展示室7
小堀遠州の美意識=綺麗さび
  • ○墨跡・絵賛・歌切・消息
  • ○遠州の和歌色紙
  • ○中興名物の茶陶
  • ○遠州が関わった茶陶
  • ○遠州作・所持の茶道具

主な展示作品

展示室1利休・織部・遠州の美意識

利休・織部・遠州の美意識を象徴する茶道具の名品を展示し、まずは3人の美意識の違いを把握していただきます。

利休では、利休が所持したと伝えられる古銅桃底花入(こどうももぞこはないれ)二徳三島茶碗(にとくみしまちゃわん)姥口霰釜(うばくちあられがま)、利休在判の黒大棗(くろおおなつめ)、利休作の竹茶杓(たけちゃしゃく)(銘ホトトギス)(図1)、利休が自らのわびの美学にかなった茶碗を長次郎に焼かせたとされる黒楽茶碗(くろらくちゃわん)(銘俊寛(しゅんかん))<重文>(図2)などを展示いたします。

織部では、師の利休の規格からすると「破格の美」とされる織部の美意識。それを象徴するような作品が、大きな茶碗を十文字に割って小さくしたとされる大井戸茶碗おおいどちゃわん(銘須弥(しゅみ)、別銘十文字じゅうもんじ)(図3)です。また織部の好みが影響して焼かれたとされる古伊賀こいがの花入(銘業平なりひら)(図4)、水指(銘閑居かんきょ)などを展示します。

遠州では、遠州が関わったとされる高取面取茶碗たかとりめんとりちゃわん(図5)、薩摩甫十瓢箪茶入さつまほじゅうひょうたんちゃいれ(銘十寸鏡ますかがみ)。利休と織部の茶道具を見てくると、遠州の瀟洒しょうしゃできれいな茶道具は、まさに「綺麗きれいさび」といえます。

展示室2国宝の名碗

織田信長・豊臣秀吉という天下人のもとで、茶の湯の文化は、利休に代表される堺の豪商出身の茶人が茶頭(茶堂)となり、多分に政治的な動きの中で戦国武将の間にも広まり、爆発的な発展を見たと言えます。瀬戸黒・黄瀬戸・志野・織部という、桃山時代の瀬戸・美濃地方で焼かれた茶陶は、中央の茶の湯の動きとリンクして生まれた日本独特のやきものでした。そのなかでも桃山時代の茶陶を代表する国宝の志野茶碗(しのちゃわん)(銘卯花墻うのはながき)(図6)を展示いたします。

展示室3如庵 織田有楽の茶室

展示室3は織田有楽(おだうらく)の茶室「如庵(じょあん)」を写した展示室です。明治40年頃から北三井家が所有した国宝の茶室で、戦後に名古屋鉄道の所有となり犬山に移築されました。
ここでは織田有楽の消息と井戸茶碗、そして自作の茶杓2点を展示いたします。織田有楽は信長の弟で、利休の弟子でした。織部や遠州とも親交があり、織部亡きあとは有楽が茶の湯界の第一人者ともいわれます。

展示室4千利休の美意識=わび・さびの美

千利休(1522〜1591)は、堺今市町の魚問屋で納屋衆の田中与兵衛の子として生まれました。茶の湯を北向道陳(きたむきどうちん)に学び、武野紹鷗たけのじょうおうに師事し、大徳寺の笑嶺宗訢しょうれいそうきん古渓宗陳こけいそうちんらに参禅して禅を学んでいます。堺の豪商・津田家や今井家、奈良の漆問屋・松屋などと茶の湯の交流をもち、津田家の『天王寺屋会記』には利休32歳の茶会から記されており、利休の茶の湯の姿がうかがえます。

堺の町は貿易都市として織田信長や豊臣秀吉などと政治的な関係を持ち、津田宗及つだそうぎゅう今井宗久いまいそうきゅう、利休などが茶頭(茶堂)として仕え、茶の湯は武将の間に広まりました。特に秀吉と利休の関係は特別で、政治向きは秀吉の弟・羽柴秀長に、内々のことは利休に、というように秀吉のふところ深く仕えましたが、最終的には秀吉の勘気をこうむり、自刃を命じられることになります。

利休はわび茶の大成者とされますが、その美意識は「わび・さびの美」としてとらえられています。以下に三井家伝来の茶道具で具体的に見て行きます。

●わび茶の師

千利休が茶の湯の師と仰いだのが村田珠光(むらたしゅこう)・武野紹鷗・北向道陳でした。当館には少ないながらも関連資料が伝わっています。

村田珠光は、わび茶の開山ともいわれ、室町幕府の殿中でんちゅう書院の茶の湯に対し、草庵そうあんの茶・わび茶を提唱したとされます。珠光筆とされる山水図が2点伝わっており、和漢の融合を説いた珠光の絵の傾向がうかがえます。また、唐物の名物に対し、わびた趣の唐物茶碗を取り上げ、珠光しゅこう茶碗と呼ばれました。その一つ、松屋伝来とされる珠光青磁茶碗(銘波瀾はらん)(図7)を展示いたします。

武野紹鷗は珠光の孫弟子にあたり、草庵の茶を発展させました。皮革業を営む堺の豪商ですが、連歌師でもあり、藤原定家の歌論書から茶の湯の極意を悟ったといいます。当館には消息しょうそく1点(図8)と紹鷗黒大棗、竹茶杓などが伝わっています。紹鷗は藤原定家ふじわらていか小倉色紙おぐらしきしを茶室の床に初めて掛けていますが、ここでは三井家伝来の小倉色紙(図9)を展示いたします。

北向道陳は利休が茶を習った師匠。堺の茶人で、紹鷗に利休(当時は宗易そうえき)を推薦したといわれています。当館には自作の竹茶杓が1点伝わっています。

●利休の消息とゆかりの茶道具

ここでは利休の消息を中心に、関連する茶道具を展示いたします。消息は7点のうち5点が初公開です。

堺の豪商で茶人でもある津田宗及(つだそうぎゅう)今井宗久いまいそうきゅうなどとともに、利休は天下人織田信長の茶頭さどう(茶堂)となりますが、まずは信長から拝領したという祇園祭礼図、信長の茶会と思われる道具付を展示いたします。

残りの6通の消息は、天正10年(1582)6月本能寺の変のあと、秀吉の茶頭となり、天正19年(1591)2月28日に秀吉の命で自刃するまで、わずか10年程の間のものです。

豊臣秀吉が関白となった天正13年(1585)以降の津田宗及に宛てた消息では、クロ柿の茶壺のこと、秀吉のお茶のこと、大徳寺の和尚のことなどが記されています。ここでは青磁筒花入・北野肩衝きたのかたつき茶入(重文)など秀吉ゆかりの茶道具や、利休が北政所きたのまんどころに贈ったとされる波桐蒔絵竹二重切花入なみきりまきえたけにじゅうぎりはないれ(図10)などを合わせて展示いたします。

図11は天正18年(1590)4月、利休が秀吉の小田原攻めに従軍した際に書かれた消息です。あわれな小田原と、橋立はしだて茶壺の狂歌などが記されています。この翌年の2月に秀吉と利休との破局がおとずれます。利休が自刃したとされる聚楽屋敷が偲ばれる聚楽第図じゅらくだいず屏風(図12)も展示いたします。

●千利休画像

図13は、利休の孫の千宗旦せんのそうたんが描いた千利休遺偈ゆいげと利休像。このほか、北三井家六代・三井高祐たかすけ筆の利休像2点を展示いたします。

●利休作・所持・在判の茶道具

ここでは、利休作、利休所持、利休在判の茶道具を展示します。なお名品の一部は展示室1で展示しています。

利休作としては竹茶杓が2点あり、そのうち1点は細川幽斎ほそかわゆうさい下削したけずりをしたとされ、筒には幽斎の狂歌が記されています。

利休所持とされるものとしては、雲紙和漢朗詠集切くもがみわかんろうえいしゅうぎれ、与次郎の霰釜あられがま(図14)、釜鐶かまかん桑柄灰匙くわえはいさじなどがあります。

利休在判ざいはんは、利休のケラ判と呼ばれる花押かおう直書じきしょされているもので、黒中棗くろちゅうなつめ(図15)、町棗まちなつめ南蛮内渋建水なんばんうちしぶけんすいなどがあります。

●利休が好んだ茶道具

利休が好んだ茶道具を利休好りきゅうごのみといい、後世にその器形や寸法などの規矩を定めて多くの茶道具が制作されますが、ここでは利休時代の茶道具で、利休が好んだものを展示いたします。黄瀬戸立鼓花入きせとりゅうごはないれ、長次郎の黒楽平茶碗くろらくひらちゃわん(図16)、黒楽茶碗(銘メントリ)、与次郎の日の丸釜、黒塗一文字椀くろぬりいちもんじわんなどです。

展示室5
●利休写

利休好の茶道具の中でも、利休自作、あるいは利休が作らせた茶道具をそっくり写したものを利休写りきゅううつしと呼んでいます。利休作の竹尺八花入たけしゃくはちはないれの写し、木地釣瓶水指きじつるべみずさしの写し、鉄風炉てつぶろの写し、小棚こだな桐木地丸卓きりきじまるしょくの写し(図17)などを展示いたします。

古田織部の美意識=破格の美

古田織部ふるたおりべ(1544〜1615)は、信長・秀吉・家康に仕えた美濃出身の大名茶人で、織部正おりべのかみに任じられたので「織部」と通称されます。千利休に茶を学び、利休七哲の一人とされます。利休が秀吉に蟄居を命じられ、堺に向かう利休を織部と細川三斎の二人が淀の泊りで見送った逸話は有名です。秀吉没後は隠居し、茶の湯三昧の生活を送り茶の湯名人とうたわれ、茶の湯界の第一人者となりました。

関ヶ原の戦いでは家康の東軍に属し、戦後は二代将軍徳川秀忠に茶の湯を指南しますが、大坂の陣で豊臣方に内通した咎を責められ自刃し、一族もろとも滅びました。

織部の美意識は、利休のわび・さびの美を引き継ぎつつも、その格を破った「破格の美」といわれます。なかでも茶陶では、ゆがみのある作意の強いやきものが、織部の好みから生まれたとされています。自ら指導して焼かせたという史料は見られないところから、織部が取り上げたものが流行していったということかもしれません。

●織部の消息と茶杓

当館には織部作の作品が消息1点と竹茶杓1点(図18)伝わっています。織部は歌道や禅にも精通していましたが、図19の消息は、近衛家の諸大夫・進藤修理しんどうしゅりにあてたもので、この頃、織部は近衛信尹このえのぶただに連歌の指導を仰いでおり、自詠の発句の添削を依頼しています。

●歪(ひずみ・ゆがみ)・沓形(くつがた)

慶長4年(1599)2月に古田織部が催した伏見での茶会で、神屋宗湛かみやそうたんが「ウス茶ノトキ、セト茶碗ヒツミ候也、ヘウケモノ也」と日記に記したものが、織部好のゆがみのある茶碗です。黒い沓形くつがた茶碗だったようですが、宗湛はひょうげた印象を受けたようです。漫画「へうげもの」はこれが元ネタです。織部好の沓形茶碗に倣って朝鮮半島で焼かれたのが御所丸茶碗ごしょまるちゃわん(図20)と考えられています。

●破格の形の波及

古田織部の美意識は、わび・さびの利休の美意識を踏襲しながらも、その規格を破る「破格の美」といわれます。瀬戸・美濃・備前・信楽・古甲賀などの桃山時代の茶陶は、その推移を端的に表しているようで、特に花入・水指・茶碗などで、デフォルメされたゆがみのある茶陶は、織部好といわれてきました。しかし、織部焼や古伊賀などで、織部と生産地との直接的なかかわりを示す史料はほとんどないところから、織部好という表現も慎重にならざるを得ないのが現状です。
ここでは織部好の波及を「破格の形の波及」というとらえ方で考えてみたいと思います。図21の備前瓢掛花入びぜんひょうかけはないれは、図13の十文字井戸茶碗と同様に、完品を打ち欠いて面白がるという織部の美意識に通じるものといえます。

●志野・織部

志野・織部といえば、美濃出身の織部とのかかわりが想像されますが、これも織部が直接かかわった史料は見つかっていません。織部沓形茶碗に織部の花押が記されたものがありますが、何らかの関りが想像されるにとどまります。
桃山茶陶の代表作である図5の志野茶碗(銘卯花墻)が筆頭におかれる志野、古田織部の名がもとになったと思われる織部(図22)、いずれにしてもこの時代に日本独自のやきものが生まれた背景には、中央の茶の湯の動静が強く反映されていると思われます。

展示室6数棗と数香合
●利休形茶器十二

様々な形がある塗物の茶器を一定の形として定形化し、寸法を定めて基準となる茶器をいわゆる数棗かずなつめとして制作したのは、表千家七代・如心斎じょしんさい(1705〜1751)とされます。不審菴には如心斎判三十二器が伝わっていますが、数少なく組まれたものに利休形十二器があります。
ここでは如心斎の長男で表千家八代の啐啄斎そったくさい(1744〜1808)が組んだ数棗の中から、利休形茶器十二を選んで展示いたします。

●利休好・織部好の蒔絵の香合

当館には啐啄斎在判の数香合かずこうごうもあり、その中から利休好と織部好の梅蒔絵香合を選んで展示いたします。

展示室7小堀遠州の美意識=綺麗さび

小堀遠州こぼりえんしゅう(1579〜1647)は、近江国出身で、父は浅井長政・羽柴秀長・豊臣秀吉に仕え、作事に秀でていました。遠州が江戸幕府の作事奉行さくじぶぎょうを務めた才能は父譲りのものでした。なお、遠州は父の同僚で築城の名手・藤堂高虎とうどうたかとらの養女をめとっています。30歳の時、徳川家康の駿府城を築城した功により、遠江守とおとうみのかみに任じられてから「遠州」と通称されます。遠州は、禁裏御殿きんりごてん・名古屋城・江戸城・二条城など、多くの作事奉行を務めています。また、45歳から亡くなる69歳まで伏見奉行を務めています。

遠州は小さい頃から茶会や連歌会などを経験していました。10歳の時、利休に会っていますが、茶の湯は古田織部に学び、春屋宗園しゅんおくそうえんを参禅の師としました。徳川家に仕えてからは、二代将軍秀忠と三代将軍家光に茶の湯を指南し、江戸初期茶の湯界の第一人者となりました。

遠州は和歌や公家の文化に精通しており、書は定家様ていかようをよくしました。わびの文化が和歌の精神に通じており、王朝風のみやびな美意識に、数寄屋建築などの作事奉行としての美意識が加わったものが、遠州の「綺麗きれいさび」と思われます。

●墨跡・絵賛・歌切・消息

図23の清拙正澄せいせつしょうちょう墨跡(重文)には遠州の加藤明成かとうあきなり宛の消息が1幅添っており、この墨跡と茶入を鑑定しています。墨跡はさぞ高値であろうと記しています。

絵賛えさんでは、松花堂昭乗しょうかどうしょうじょうつた図に遠州の和歌の賛をしたためた作品や、狩野探幽かのうたんゆう筆色紙短冊に遠州が達磨画賛を記した作品などを展示いたします。

歌切では、古今和歌集から抜粋した藤原定家筆歌切うたぎれがありますが、これにも遠州の堀式部ほりしきぶ宛の消息が1幅添っており、自分が欲しいところだが、代金が足りないのであなた(堀式部)にすすめると記しています。

遠州の消息は、添幅そえふくを含めて全部で5通ありますが、図24は遠州から儒者の三宅亡羊みやけぼうように宛てた消息で、遠州が手造りした茶碗に茶を添えて贈った際の手紙です。

●遠州の和歌色紙

掛軸として単体で伝わった遠州の和歌色紙は4点ありますが、すべて初公開です。古歌を写したものと、自詠のものがあります。茶入の箱に貼る大きさの小色紙が2点ありますが、本来は茶入に貼ってあったものと思われます。

●中興名物の茶陶

遠州が取り上げた茶入や茶碗は、遠州により銘が付けられますが、多くは和歌から銘が付けられ、箱や挽家に遠州筆の和歌小色紙が貼られ、箱書が認められています。また、茶入の仕覆や挽家の仕覆、二重・三重に箱を仕立て風呂敷で包むなど、多くの次第が整っています。これらを松平不昧まつだいらふまい(1751〜1818)が「大名物」に対して「中興名物」と呼びました。当館には中興名物が8点ありますが、全て展示いたします。

茶碗では、重文の玳皮盞たいひさん(鸞天目らんてんもく)(図25)と古手屋高麗ふるてやごうらいの2点があります。

茶入は「常如院じょうにょいん」「佐久間面取さくまめんとり」「二見ふたみ」「かけひ」「卯花うのはな」「田面たづら」の6点がありますが、すべて瀬戸茶入です。なかでも図26の瀬戸二見手茶入(銘二見)は、三井家ゆかりの茶入ですが、松平不昧の添状が1幅添っています。また、図27の瀬戸落穂手おちぼで茶入(銘田面たづら)には遠州の和歌小色紙と、遠州と江月宗玩こうげつそうがん合筆消息の写し、小堀家合筆の茶入絵賛が掛軸で添っています。

●遠州が関わった茶陶

図24の三宅亡羊宛の消息で、遠州が自分で茶碗を焼いたことがわかりますが、遠州が関わって焼かれたとされる茶陶があります。図5の高取面取茶碗がその一つですが、ここでは薩摩焼と膳所焼ぜぜやきの茶入を2点展示します。図28の膳所肩衝茶入ぜぜかたつきちゃいれ(銘楽々浪さざなみ)は、琵琶湖畔の膳所ぜぜで焼かれたもので、いかにも遠州が好みそうな雅な雰囲気があります。

●遠州作・所持の茶道具

最後に、遠州作と遠州所持の茶道具を展示いたします。遠州作の竹二重切花入たけにじゅうぎりはないれ(白菊歌銘しらぎくうためい)と竹輪無二重切花入たけわなしにじゅうぎりはないれ(銘下折したおれ)は、初公開ですが、前者には遠州の金森宗和かなもりそうわ宛の消息が1幅添っています。図29の竹茶杓(銘二見ふたみ)は、遠州らしい綺麗さびの茶杓といえます。

図30の菊蒔絵面取茶箱きくまきえめんとりちゃばこは遠州所持の伝来があり、茶器の蓋には三猿のつまみが付き、蓋裏には遠州の和歌が記されています。

会期
2024/4/18(木)〜6/16(日)
開館時間
10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日
月曜日(但し4月29日、5月6日は開館)、5月7日(火)
主催
三井記念美術館
入館料
一般 1,200(1,000)円
大学・高校生 700(600)円
中学生以下 無料
  • ※70歳以上の方は1,000円(要証明)。※20名様以上の団体の方は( )内割引料金となります。
  • ※リピーター割引:会期中一般券、学生券の半券のご提示で、2回目以降は( )内割引料金となります。
  • ※障害者手帳をご呈示いただいた方、およびその介護者1名は無料です(ミライロIDも可)。
入館
予約なしでご入館いただけます。
展示室内の混雑を避けるため入場制限を行う場合があります。

ご来館のお客様へのお願い

お問い合わせ先
050-5541-8600(ハローダイヤル)
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